はこがい。

ハリボー大人買いしたい。

じんじのおしごと

人事。

エース級の社員が配属される、花形部署である。営業と並ぶ双璧だ。大企業なら、人事に配属されたらエリートコースだと思って良い。営業は何人いてもいいが、人事になれる人数は絞られる。一般的にはコストセンターなのだ。そんな管理部門であるが故にともすれば日陰者扱いされがちだが、人事は企業の影の支配者である。なぜなら、会社は人でできているからだ。どんな人を入れ、どのように人を育て、どのように配置し、目的をどう成すか。人事とはすなわち経営である。

と、偉そうに書いてはみるものの、私が名前の上に小さく「人事」と書かれた名刺を手に入れたとき、当の本人にその自覚は皆無であった。それまで1日500人以上を相手に働く空飛ぶ接客業界の人間だった私は、「誰かの幸せのために働くなら、最後まで相手の顔を見続けられる仕事がしたい」と思っていた。ただそれだけだったのである。

 

紆余曲折を経て飛び込んだベンチャー。会社初のコーポレート専任。そして、未経験人事。仕事というものは、いつもそうだ。どんな花形だろうが、どんなキラキラ職だろうが、自分がどんなに優秀だろうが、苦しい時は苦しいのである。悲しい時は悲しく、辛い時は辛いのである。

 

 

 

私が一番、苦しかった時の話を書こうと思う。

 

 

多分、どこの会社にもいるのだと思う。


ある日突然、「飛ぶ」人がいる。

 

飛んだ人の回収にいくのは、最近はもっぱら私の仕事である。そして往々の場合、回収できるのは、退職届だけである。入社して丸2年、私が書いた求人に何かしらの期待を掛けて入って来た人が、潰れて辞めていく姿を何回も見送った。いつも、何度経験しても、合わなかっただけ、早く別れた方がお互いの幸せ、と自分を納得させるのに必死になる。

 

初めて私が退職処理をしたのは2015年の12月、新卒1年目の社員の手続きだった。しばらく私の相棒として仕事を手伝ってくれていた業務委託の人が契約満了で辞めたすぐ後である。退職が決まったことを告げられ、すぐに退職手続きのやり方を調べた。ハローワーク離職票をもらいに行った。カウンターで「5部ぐらいください」と声をかけると、威勢のいいおばちゃん担当者から「そんなので足りるわけないでしょ」とばかりに50部ぐらいを押し付けられ、私はその分厚い束をおとなしく受け取った。その束はずっしりと重かった。突っ込んだカバンの肩紐が食い込んで痛い。これを使い切る日が来る?そんなバカな。

はんこを押しに彼女がオフィスにやってきたとき、私は笑顔だった。よかった、結構元気そうだ。さよならぐらいは笑顔でしたい。一回だけ小さく背中を曲げて「ありがとうございました」と告げ、彼女は会社を出た。私は「元気でねー」と気の抜けた返事をしながら見送った。2015年の年末である。

 

さて、年が明け、仕事初めの次の日のそのまた次の日ぐらい、私は職場の最寄駅に降り立つことができなかった。いつも通りに起き、いつも通りの電車に乗っていた。ドアが開いたら、つり革から手を離して5歩歩けば出られるのに。「あれ、」と思いながら、体が動かなかった。年始早々、ひどい出だしだ。

そのまま、一駅過ぎ、二駅過ぎ、電車は空港に着いた。終点である。皮肉にも、前職を象徴するような場所であった。「そうか、ここから飛行機に乗れるのか」とふと思って電車を降りた。5ヶ月ぶりのその場所は変わっていなかった。そのまま、展望台にむかった。足取りは軽かった。PAX INTRANTIBVS SALVS EXEVNTIBVS(訪れる人に安らぎを、去り行く人にしあわせを)。空港はロマンのかたまりだ。

 

あまり意識されることがないようだが、飛行機と空港にもラッシュアワーがある。見下ろす滑走路の手前には、テイクオフクリアランスを待つ飛行機が列をなしていた。1機、また1機と飛んでいく。時速300キロに達して、ふわっと機首が持ち上がる。ぐん、と角度をつけて、機体が力技で重力を振り切る。そのまま高く高く伸び上がって西へ東へ旋回する、高度3万ft、どこまでいくんだろう、伊丹かな、福岡かな、NYかな。ぼうっと眺めていただけだったのに、気付くと私は泣いていた。何が悲しいのか何が辛いのか全くわからなかった。でも大泣きしていた。ガチガチに固まっていた背中が解けて、胸の中で膨れ上がって押さえつけられてギュウッと圧縮されてパンパンになっていたものが、堰を切ったように溢れ出したらしい。たっぷり30分、飛び立つ飛行機を見送りながら、私は声をあげるわけでもなく延々ぽろぽろと泣いていた。

まるで汗がひくようにしてすうっと頰が乾いた頃、時計は9時半を指していた。定時まであと30分ある。(そう、当時の私は妙に出社が早かったのである。)お腹を壊してちょっと遅刻する、と上司に電話しようとして辞めた。相棒が辞めて、どうせオフィスには自分しかいないのだ。大丈夫、昨晩のうちに溜まりに溜まっているはずのメールに返信するのは電車の中でもできる。

 

尾翼を青く染めたB777-200が滑走路に入ってきた。滑走路手前の渋滞は大分落ち着いていた。バランスの良い翼を伸びやかに広げた「トリプル」は、鉄の塊とは思えないぐらい軽やかに飛びあがった。旋回してターミナルの向こうに消えてゆく飛行機に心の中で小さく手を振って、私は展望台を降りることを決めた。

 

オフィスに着いたのは10時を少し回った頃であった。さあ、やることは山積みだ。そんなふうにして、飛行機を見送りながら泣いたことなどまるで夢だったかのように、何事もなく1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、いつの間にやら1年と少しが過ぎていた。

 

私の仕事は、いつも無力感と裏表になっている。苦しむ相手を励ますことしかできない。私には直接的な原因を取り除くことができない。人が潰れてゆくその様を指を咥えて見ている自分が嫌で嫌で仕方なかった。

 

でももしかしたら、人事の仕事とはそういうものなのかもしれない、とも思う。採ることも育てることも仕組み作りも、人の人生ひとつを左右する仕事だ。なんて恐ろしい仕事だろう。優しさだけじゃやっていけない。非情でなければならない。それでも笑顔でいなければいけない。本当に優秀な人事は、もしかしたら、人間じゃないのかもしれない。もしかしたらこれは、笑顔の仮面を貼り付けたサイボーグに向いている仕事なんじゃないか。

これはそんな仕事だ。そんな仕事だが、人の幸せを全力で祈ることができる仕事でもある。そして人の幸せを祈ることは、サイボーグにはできない。そして私は人間である。しあわせになれ。しあわせになれ。私はいつも、呪文のようにして唱えている。