はこがい。

ハリボー大人買いしたい。

千代子の夏(2018)

最後の一文に傍線を引いて主人公の心情を答えさせるためだけに書いた。なお、書いたのは2018年夏。若干リバイズ。

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 ーーあつい。 

思わず首の後ろに右手をやると、今度は手の甲がチリチリし始めた。剃り忘れた産毛が焦げるんじゃないかという気がしてその手の甲を頬に押し当てたが、ひんやりした感触にホッとしたのもつかの間、こんどは無防備になった首筋にジリジリと直射日光が照りつける。襟足がじんわりと汗で湿り始めるのを感じて、千代子はバッサリと髪を切ったおとついの自分を恨んだ。誰だ、夏はショートの方が涼しいなんて話を鵜呑みにしたのは。首が焼けるじゃないか。 

突き刺さる紫外線の痛みに耐えかねて顔を上げると、大学創設者の胸像が素知らぬ顔をして図書館の方を見つめていた。彼のやや薄い頭にも同じく太陽が照りつけていて、ほんの少し不憫に思う。春先に彼の周りに花を散らしていた桜の木はこの夏の猛暑でいささか元気がないようだ。去年は鬱陶しいほど繁っていた葉には張りがなく、胸像を覆うほどの日陰を作れずにいる。明治維新を生き抜いたこの創設者は、100年後の日本の夏がこんなに暑いことを予想しただろうか。予想できていたら、こんな炎天下に自分の像が晒されることを喜びはしないだろう。その前に、はげる前の姿で像にしてあげればよかったのに。

 聞くところによれば、今年の夏は災害級の暑さらしい。各地で最高気温の最高記録が更新され、まかり通る根性論のせいでいつまでもエアコンが設置されてこなかった小学校では、とうとう死人が出たらしい。空梅雨のままそそくさとどこかに消えた梅雨前線は、7月になって遠くの町に豪雨を降らせたという。氾濫する川、死者と行方不明者、終わらない片付け、炎天下、熱中症、近付く台風の予報。テレビもラジオもネットニュースも毎日同じことを繰り返している。しかし千代子は、暑さが和らいだら誰もなにも言わなくなるだろう、と思っていた。 そう思っている自分を知っていたし、知っている自分を認めてもいた。

 ーーあつい。 

うなじがジリジリと焦げていく。今の千代子にとっては、遠くの街のことよりもそのことの方がよっぽど真実であった。おとつい、床にできあがった子犬一匹分はあろうかという髪の山をスタイリストが笑いながら掃いていったことも、鏡の中の自分が見たこともないぐらい晴れ晴れとしていたことも。

小さな横断歩道を渡ると、ヘアサロンがあった。ピカピカに磨かれたガラスに映る自分の姿を盗み見ると、やはりどこか楽しげにしている。
千代子にとって、髪を切ることは復讐であった。大学至近のサロンらしく学生価格を掲げた料金表を眺めながら、千代子は自分が髪を切ったその日のことを思い出していた。あのスタイリストさんは良かった、と思った。髪を切る理由を聞いてこなかった。 

腰近くまであったストレートロングの髪をフレンチショートにまで切ってしまったのだから、街を歩いているだけではだれも私だと気付かないだろう。髪に合わせて、服装も変えた。ジーパンとTシャツだけで歩くなんて、いつぶりだろうか。この街にいる人は、ジーパンを履く私のことを知らない。洗いざらしの白いTシャツ一枚で闊歩する私のことを知らない。ハイヒールをやめて、ストッキングも脱いで、つっかけサンダルをペタペタさせている私のことも。私だけがこの街のことを知っている。私だけが。誰も私のことを知らない。これはいい。面白い。楽しい。 

歩いているとすぐに通りにでた。飲食店が並んだ大通りは、テスト終わりの学生とサラリーマンでごった返していた。千代子は信号待ちの人いきれにむせ返って、立ち並ぶ古書店の店先にできた小さな日陰に身をよせた。信号が青になれば、皆思いおもいの方角に歩いていく。好きなようにお昼を食べて、昼寝したりなんかして、学校や仕事に戻るんだろう。ぶつぶつ文句をいいながらもなんだかんだで戻るんだろう。いや、もしかしたら戻らないのかもしれない。気分が乗らないとか、調子が悪いとか、大好きな漫画の新刊がでるからとか、適当な理由をつけて。

これは、なんという自由だろう。 

ふと振り返ると、本に積もった埃を払う店主と目があった。ぐりんぐりんと巻いた髪の上で、舞い上がった埃が薄明かりにキラキラと輝いている。彼の曇った眼鏡の奥がいたずらっぽく笑ったように見えて、千代子は、次の授業を休むことにした。
千代子にとって、これは反逆であった。 

売れない古本屋の主が歩道に出した鉢の中で、小さなひまわりのつぼみが膨らんでいた。