はこがい。

ハリボー大人買いしたい。

幸せについて本気出して考えてみた。

この記事も、また下書きのまま陽の目を見ない、なんてことになるんじゃないか。
でも書けるだけ書いておこう。なるべく正直に。さあ、2017年GWの始まりだ。

 

「男を見る目、ないよね」と言われる。
ほぼ初対面の人に「男見る目なさそう」と言われたこともある。
実際自分でも、ないと思う。

最近、交際相手から「最近幸せそうな顔をしてくれなくなった」と言われる。不安だ、とも言われる。そりゃそうだろう。前にどこが好きかと尋ねたら、割と真面目な回答の上から3つ目ぐらいで「幸せそうな顔するところ」と言った人だ。絶対的などこどこが好きというより、行動に対するレスポンスがちゃんと返ってくるから安心できる、という心理から発せられた言葉なのだろうと思っている。

では現実問題として、私は本当に幸せではないのだろうか。

相対的に幸せではあると思う。しかし、私の悩みのほぼ根源のような相手に純粋無垢な幸せ顔を向けられるかというと、そうではない。幸不幸の問題と悩みの有る無しの問題は別ものであり、悩みがあることを不幸だというのなら、私は不幸なのだろう。

「別れたいの?」と聞かれることもある。スパッと「そうだよ、別れたいよ」と言えたらどんなに楽だろう。どうせ形のある幸せには結びつかない関係だ。しかし悲しいことに、言えないのである。なぜなら、それは本質的な解決にはならないし、なにより本質的な問題はあなたではなく私にあるということを自覚しているからだ。

ねえ、あなたは私の鏡なんです。

 

 

大切な人が求める「みどり」になれないことは、私にとって最大の恐怖だ。それはこの歳になっても克服できていない両親との関係性に対する葛藤の裏返しでもある。両親は「みどりが幸せだったらなんでもいいよ」という。私はそれに対して「うん」という。両親は私を認めてくれていると頭ではわかっている一方、私自身は「みどり」になれなかった自分を未だに認めることができていない。自分を許せていない。仮に今からその「みどり」になれたとして、そこにカタルシスが生まれるのかどうかはわからない。でも、少なくとも、18歳の私は救われるのではないかと思うのである。初めて自分を心の底から「よしよし」できるんじゃないかというほのかに期待している。そしてそうなって初めて、次の一歩が踏み出せるんじゃないかとも。

そんなわけで今からでも、少しでも「みどり」に近づきたいと思う。ここまでくるともはや親が云々ではなく、私がどうなりたいかだけの問題かもしれない。価値観に影響はあるにせよ。さぁ、どんな私になれば、私は私を認めてあげられるのだろうか。

 

簡単に言うと「できる人」「すごい人」になりたい。何をもって「できる人」「すごい人」というかは一旦置いておいて、最終的には父のような母のような叔母のような祖父のような、周囲から尊敬され、頼られ、慕われる人間になりたい。そして、そんな人たちの成功の裏には並々ならぬ努力があることも私は知っている。私は社会人になってからの丸3年間を無駄にした。「私なんて」を言い訳に、ずっと何もしてこなかった。腐っていても何も始まらない、と決心したのがこの春。とにかく目の前のことに真剣になろうと決めた。ちゃんとやって、ちゃんと何かしらの成果を出せたら、少し自分を好きになれるんじゃないかと思っている。そんなことの積み重ねの先に、家族のような姿があればいいなと思っている。

家族に憧れる一方で、これまでの交際相手との関係は「あなたみたいになりたい」を原動力にスタートした。要するに皆「憧れの人」なのだ。現在の交際相手の場合も御多分に洩れず、そのきっかけは「憧れ」なのである。教養深く、自分の意見を持ち、明確な立場を持ち、プロフェッショナリティを持ち、自分の足で立っている。すくなくともそう見える。すくなくとも、私よりもよっぽどものを知っている。自分の意見を持っている。自分の足で立っている。ああ、あなたみたいになりたい。あなたは私の知らないことをたくさん知っている。図書館の隅っこの窓辺の席でうとうとしている時のような気分になる。心地よい。あなたが好き!

だが、図書館でうとうとするだけで何かが私の血肉になるわけではない。だんだんグズな自分が嫌になってくる。最初は憧れと恋心だけで一緒にいられても、そんなのは期間限定だ。本当はあなたの隣に立ちたいのだ。同じ方向を見つめ、互いに互いの背中を守り合うパートナーになりたいと思う。あなたの隣に立つためには、なんにせよ、あなたと同等かそれ以上の能力を持たなければならない。同じ武器である必要はない、違う武器でもいい。とにかく頑張らねば。力をつけなければ。そう思った矢先、こう言われるのだ。「そういう子は嫌い。」

就活の時もそうだった。どこ受けるの?と聞かれて「ANAの総合職」と答えて「CAは受けないの?CAの方が似合うよ」と言われたとき、私にとっては屈辱でしかなかった。あなたに憧れて「管理職になる!」と意味不明の宣言をした19歳の頃、あなたは私を応援してくれたじゃないか。CAか。そうか。そっちの方が似合うのか。通るわけないだろうと思いながら出したCAに私はなった。総合職は落ちた。そういう人間でしかないんだなぁと思って、悔しくて悔しくて悔しくて、仕方なかった。制服姿を見せてと言われた時、鏡の中の私は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

やっぱり、優しくて、可愛くて、細くて、小さくて、柔らかくて、抱きしめたら折れてしまいそうな人が好きですか。歌が上手くて料理が上手で、言葉も所作も美しく、丁寧で細やかな人が好きですか。それだけの女なんて私、大嫌いなんです。
賢いね、という言葉の裏に「俺のいうことが分かるなんてすごいね」なんて、そんな考えは含まれていませんか。まだまだだとは思うけれど、あなたの横に立つことは叶わぬ夢なのでしょうか。同じ目線で同じ夢を見ることはないのでしょうか。

 

そう思って、一通り、勝手に悲しくなった。勝手に落ち込んだ。勝手に、あなたのこと嫌いになりかけた。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

ここまで書いて、案の定この記事は日の目を見なかった。

そして、私はあの人を嫌いになった。2017年、七夕前夜のことである。私はあなたが嫌いだという「そういう子」になることを決めたのだ。自分の正義ができた瞬間だった。私はあの瞬間、三歳児になった。自分の幸せのために、自分の目の前にいる他者の人生を、自分の足でもって、自分の正しさで、踏みにじることを選んだ。そして世界は、私が三歳児に戻ることを許してくれた。多分それは、私がこれまで三歳児でいることを選んでこなかったからだ。誰かの、その人だけの正しさに散々滅多打ちにされてきた。その頃の私は、「そうだね」以外の回答が許されない世界に生きていた。「そうだね」は我が身を守るための殻だった。

攻撃は最大の防御である。私が私であるためには、時には「そうだね」を捨てる必要があった。これだけ言葉に親しんできたのに、私は自分の内側にあるものを言葉で表すことができなかった。それをしてこなかった。鬱屈した精神は歪んだ行動に現れるのだ。

「そうだね」を捨てた私は強かった。多分、あなたが大嫌いな私だったことだろう。

 

「そうだね」の捨て方を知ってしまった私はもう、あの頃に戻りたくても戻れなくなってしまった。思い出だけ持って行こう。今は等身大の私の前に、等身大の世界が広がっている。